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2003年2月1日(土) 信頼
今日は、ひさびさの完全オフで家でだらだらしてたら、夕方遅くになって突然の来客。かなり慌てた。
業務提携していた某社のオーナーで、うちからの請求額のうち7割ほどを持ってみえた。
彼の会社は、昨年大きな波に揉まれて、今苦しい時にあり、12月末に入金されるはずの代金が延び延びになって、1月末には2ヵ月分をそろえて振込むという話だったのだけど、昨日の入金は確認できず、彼との連絡もつかず、私が今朝から脱力していた原因の一つはそこにもあった。
脱力してる場合じゃないんだけど、このまま入金がまた延びちゃうとうちの資金もパンクしちゃうんだもの。どすっかなあ〜。せっかく銀行からの融資もあと半年で一口が完済するって時に、もうこれ以上、借金したくないしなぁ〜。
第一、すんなり追加融資がおりるほどの業績は今期上がってないしなあ〜〜。
親や兄弟に甘えたくないしなぁ〜〜。
マジ、朝から目眩してた。
そこへ、「どうしても満額は用意できなかった。でも、なんとか135万作ったから持っていきたい」と、連絡があったのだ。
散らかった家に入っていただき、しばらく話をしていたが、「10年来つきあった人でも掌を返したように言葉遣いも変わってしまうくらい冷たくなるほどあちこちに信用を失いました」という彼の一言にハッとした。
私も掌返したいって何度も思ったんだよね。
半年くらい前から、入金が滞りがちになって、それでもせいぜい10日遅れくらいだったのが、とうとう昨年暮れの入金を1月末までに延期された時点で、それまで請け負っていた仕事はお断りした。
せめて入金遅延の連絡くらいくれてもいいのに、遅れた時に限って連絡がつかなくなる。
これじゃ、「もうつきあいたくない」って思っちゃうよ。
でも、彼にはどうしても背を向けきれないところがあって、そこが私の甘さかなとも思うんだけど、「な〜る」を創刊するときに、彼の会社が発行する媒体の軒先を借りてスタートしたから、仮に彼に裏切られるようなことがあっても私は裏切ってはいけないと思い続けてきたし、その時の御恩は、必ず何かで返さないといけないと思ってきて、社員にもそれを言い続けている。
今日の「な〜る」があるのは、彼の会社のおかげなんだよ。
だから今、彼が窮地に立っている時に、何もできないのがむしろ歯痒い。
彼の必要な額を用立てるくらいのことをできればいいんだけど、それができるほどの余裕もないし、むしろ「早く払ってください」としか言えない。
昨夜から今日の夕方まで「もしかしてこのまま連絡つかなくなっちゃうのかな」と、かすかに「裏切り」も想像した。
一昨年、生まれて初めて人の裏切りに出会って、もうやだと思ってたけど、これで2度目になるのかぁ?? なんて、どんどん心がざわざわしちゃってさ。
気が小さいわ、人に甘いわ、私って絶対経営者向きじゃないよなぁ〜〜って、どんどん落ち込んじゃうしさ。
「でも、信じていよう。ぜったいにあの人なら、月曜には連絡してくる」って思った矢先の訪問だった。
千円札まで混ざったまさに掻き集めましたって感じのお金を数えながら、(うほほ..こんな現金久しぶりに手にした)「振込んで下さればよかったのに」と言うと「いや、お会いしてお渡ししないといけないと思いました」という彼。そういう人なんだよ。
この前会った時より、なんか吹っ切れた感じで、顔色も良くなってたし、きっとあともう少しで会社も立て直しできるだろう。
「2月末までには完済します」と頭を下げて帰った彼を見送りながら、明日は我が身かもしれないから、「私も頑張ろう。また一緒に仕事をできるようになろう」って思ったのでした。
2003年2月2日(日) りっぱなミーハー
横浜インスパイアーズの20周年記念パーティーにお邪魔させてもらってきた。
OBと関係者のみのパーティーと聞いていたので、昨年暮れあたりから「行く?」「うん、行く」と話してる関係者の方のやりとりを「いいなぁ〜〜〜〜〜、いいなぁ〜〜〜っ!!」と指をくわえるような気分で見てたから、ご案内をいただいた時は飛び上がるほどうれしかった。
「ただのミーハーですのに、そんなお席にお邪魔していいんでしょうか?」という問いに返って来たのは「omasaさんは、ただのミ−ハーではなく、りっぱなミーハーですから」というお言葉。
なんって、ステキな響きなんでしょう。「りっぱなミーハー」。
この時ほど、ミーハーを極めてきてよかったと思った時はなかった。
受付でいただいた名札の肩書きには、しっかり「立派なミーハー」と記していただいてました。(^^)v

日程的にどうしても宿泊はできなかったので、横浜まで日帰りのちょっぴりハードなスケジュールだったけど、疲れ知らずの一日になった。
DCAでの曲も聴かせてもらえた。
もう何度もビデオで見てるんだけど、やっぱり目の前で演奏してもらうと、体が震えちゃう。よかったよぉ〜〜、横浜まで行って。

往年のOBの方たちもたくさん来ておられて、過去の映像で見たあの人この人が並んでらっしゃる。
心の中では「うあ〜〜、うあ〜〜」って、ミーハー満開だったね。
笑いあり涙ありの感動いっぱいのプログラムはあっと言う間に過ぎてしまったけど、何がうれしかったって、メンバーの皆さんが気軽に声をかけて下さったこと。言ってみれば部外者の私は、きっと壁の花状態なんだろなって思ってたんだけど、ほんっとに楽しい会話の時間を持てた。

往復の新幹線は、てらさんのサプライズプランのおかげで楽しいものになったし。
(新大阪から新神戸までトイレの中で過ごすハメになるとは思わなかったけど)
唯一、気に入らなかったのは、てらさんと夫婦に間違われたことかな。(爆)
誓って申し上げておきますが、私とてらさんは過去も現在も未来もデキてませんので、あしからず。
2003年2月6日(木) 猫も杓子も
昨夜、ひろぽんが遊びに来てくれて、「行きたいと思った時にはもうエイジアウトしてた」という話になった。この「行きたいと思った時にはエイジアウトしてた」って人、けっこう多い。
DCIに行った日本人が90年代になってから急速に増えていることを見ても、それまでは情報がほんの一握りの人にしか伝わらなかったんでしょうね。
最近は、情報はあふれんばかりにあるし、日本人を受け入れてくれる団体も多いし、渡航費も安くなって、学生がちょっと頑張ってバイトすれば自分で費用も賄えるし・・で、言い方悪くすれば「猫も杓子も」DCIに行く時代になってる。
「猫も杓子も行くから嫌なんだ」と言う人もあるけれど、私は、猫や杓子でいいから、どんどん行けばいいと思ってる。どんどん行って、猫が虎になり、杓子がこん棒になって帰って来ればいい、そのシーズンになり切れなくても、帰ってからの生き方に得たことを活かして、やがて大きくなれたら、それでいいと思ってる。
どんなに経験談を聞いても、どんなに情報を集めても、伝聞は血肉にはならない。行かなくちゃわからないこともある。

かく言う私自身が、息子たちから聞いた情報だけで話をしてるので、けっこうもどかしい部分もあったり、また「ここから先は言っちゃいけないな」と思うこともあるんだけど、裕明が「進学しないでアメリカに行く」と言い出した時には、確信を持って賛成した。
隆司と同じく、大学を休学して渡米するという方法もあったけれど、裕明の目標は「Madison Scoutsに入る」ということしかなかったんだもの、まず反対する理由が無い。いちおう、親としては「エイジアウトしてからでもいいから必要な勉強はしなさい」とは言っているけれど、今の彼にとっては、「それはまた別の話」になっちゃってるだろう。
私が確信を持った一つの理由は、絶対に今の日本ではできない経験を積めるということ。
個人の技術の向上がどうこうってことは、全く思わなかった。
私は、子供たちに本物のツアー体験をさせたかったんだ。こうやって書くと、私ってけっこう教育ママ?(^^;

兄弟とくみちゃんとで、どこそこの地名を挙げては、その土地で起きたことの思い出話をしているのを横で聞いていると、彼らにとっては、順位やショウの出来具合い以上に、当時の生活が大きく影を投げているかがわかる。
たいてい笑い話ばかり。現場では辛かったことも、時が経てばみんな笑い話になっていく。

DCIと言うと、どうしてもファイナルの3日間が注目されるし、一般の目に触れるのは、ほとんどファイナルの映像くらいだから、話題がショウの内容や順位に集中してしまうのは、やむを得ない。でも、メンバーやスタッフにとっては、シーズン中、24時間ドラム・コーなんだってことが、一番大切なんじゃないかなって思う。
だから、私は、自分の好みは言うけど、どこか一部だけ切り取ってDCIを語るってことは、しないでおこうって決めたんだ。
2003年2月6日(木) 一つ付け加えておくと..
決して、私はDCI礼讃者ではないです。
はっきり言って、失うものも大きいです。
失うもののうち最も大きいのは「時間」。
そして、得るものも大きいけれど、これは、待っていても来てくれません。
自分から掴みに行ったものしか得られません。
2003年2月17日(月) 店内放送
何年前でしたか、コープこ○べで買い物してて、「さかなさかなさかな〜〜、さかなを食べれば〜〜」っつう曲が頭をぐるぐる巡ったの。
その後、メジャーデビューしたそですが、以来あまり強烈な店内放送は記憶になかったかと..。

先程、またもやコープこ○べで買い物中、
いきなり、年の頃は20代後半〜30代前半と思われる男性のアナウンス。

「ぶりの子供はぶりっこじゃなぁ〜〜い!!」

お、おまえなぁ〜! 
「当たり前ぢゃっ!」と心の中で激しくツッコミ入れながら、そのベタなネタがどうしても頭から離れず、あとのコメント、全部忘れた。

ふと思い出してみれば、あの声、某ラジオで競艇ニュースやってたH氏ではなかったかい?
タレントでびゅするとか言って東京さ行ったあと、矢折れて帰阪したまでは知ってるけど、元気でやってるのかぁ?
とかなんとか、ちょっとしみじみもしつつの黄昏れ時であった。
2003年2月24日(月) ばたバタ会
昨日は、ばたバタ会に行って来た。
GLORIA主催のイベント。
一日で一つのショウを作っちゃおうという、画期的な、ちょっと「無茶?」なイベント。
90人に上る参加者があって、開会直後は、「ほんまに出来上がるんかいな?」と心配していた。
何しろ、下は小学生から上は社会人まで、幅の広すぎる年齢層と、幅の広すぎる技術レベルの差。
指導に当たったGLORIAメンバーもきっと面喰らってたんじゃないかな。
誰でもできそうな技なら、簡単に合わせられそうなもんだけど、上級者は飽きる。
難しい技が多いと、初級者はついていけない。
裕明が指導に当たったライフルラインも技術レベルの差は激しく、彼が選んだ振付けがかなりの難易度だったこともあって、振付けの修得にいっぱいいっぱいで、「表現」というには遠い道程というのが、午前中の感想だったが、昼休みもそこそこに個人練している人もあって、参加者の熱心さには驚かされた。
午後からは、ステップやダンスを全員でそろえたりしたこともあって、疲れも見せずに楽しんでいる顔がいっぱいあり、「どうなることやら」と心配したランスルーは、たった1回合わせただけでこんなに出来るの? とびっくりするくらい、立派なショウになってた。

未熟な小学生たちをサークルの中心において、フラッグのトスをさせたあたり、GLORIAらしい考え方と人の生かし方だ。彼女たちが3つのサークルの中心でトスを次々に上げていくと、そのたびに周囲が喝采を上げる。テレながら、誇らしい顔をしている小学生たち、きっと、カラーガードをずっと続けて行くだろな。
ライフルとセーバーラインを合わせてみれば、思った以上に効果的で、ここでも人と人との出会いを新鮮に感じさせてもらった。
旗がそろわなくても、ドロップが多くても、みんなが一つのことを創り上げようとする「心」。こころひとつで、こんなことができてしまうんだなと、“Love & Peace”が刻まれた一日だった。
2003年2月26日(水) やってまった..
久々、ホットカーペットの上で5時間爆睡。
「おかあさん、そこで寝たらあかんで」という隆司の声も覚えてるのだが。
(あ〜〜、お風呂入らないとなぁ〜〜)と思っている自分もあったのだが..
服も着替えず、左足に毛布かけただけで、右足と肩が冷えて痛く..
サイテ〜〜〜〜。
しかも、夢の中で某校のマーチングスタッフがどうちゃらってやってるし。
ば〜か。今さら私が考えることでもないのに。
でも、妙に疲れが取れてしまったりしてるし。
丈夫になったもんですのぉ。

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Akiary v.0.42