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2002年6月6日(木) 空き缶おぢさん
昨夜、会社帰りにまた空き缶集めのおぢさんと出会った。
今度のおぢさんは、空き缶を詰めた大きな透明の袋をひっかけたこうもり傘を左の肩にかつぎながら、右手で自転車のハンドルを持って飄々と通り過ぎて行った。
顔は日焼けと汚れで真っ黒。でも、服はこざっぱりとして、瞳は鋭くもなく淀んでもなくきらきら光ってて、上体をまっすぐ伸ばして自転車に乗ってる様は、勇者のようだった。
空き缶だけで暮らしてるのかどうかは、呼び止めて聞いてもみなかったのでわからないけれど、「生きてる」って実感が伝わってくるような人だった。
先日のような争奪戦もあり、熾烈な闘いの毎日なのかもしれないけれど、時間に追われ、形式に捕われ、常識という枠の中で酸欠になりそうな人間から見ると、うらやましくさえある姿だった。
と言って、空き缶集めのおばさんにはなれそうにないんだけど。
2002年6月7日(金) でぇ〜きたぁ〜〜っ
苦節2ヶ月。
販管ソフトでの請求処理がやっと完璧にできるようになったです。
むっちゃうれしぃ〜。
ここ4年ばかり私がFile Makerで組んだ怪しげなDBでしのいでたんだけど、色々不具合が起きてきたんで、思いきって弥生ちゃんを家族にしてみた。
File Makerの方から過去データを書き出してそのまますぐ導入できると思いきや、とにかく設定項目が多くて、最初の1ヶ月は、それでつぶれた。
「設定に半年かかった」という友人もいて、そんなにかかったらソフトがバージョンアップするかもと、びびりつつ「もしもそれで過去データがフルにインポートできるようになったら、怒るでぇ〜」と、でも期待しつつ..。
結局、この2ヶ月間は、同じ帳簿をFile Makerと弥生の2ケ所で作成するハメになり、もうこれが限界、これ以上かかったら、いやになって投げ出すかも..のギリギリのところで完了。
わからないことがあると相手の都合もおかまいなしにスグに電話して聞きまくり、一度教えてもらったことを再質問するバカさをふりまき、よくぞここまで...と自分で自分を誉めてあげたい。
たびたびの質問にていねいに答えてアドバイスをくれた「どぴりん」ありがとう。
って、きっと貴女はここを見ることはないんでしょうけれど。
2002年6月13日(木) Madisonツアー出発
いよいよですの。
今年のマヂソンは、ロッキー越えを含む長い距離を移動。
怪我しませんように。
病気しませんように。
アメリカ各地に思い出がいっぱい残せますように。
ファイナルウィークに、真っ黒になった裕明たちに会いたい。
いってらっしゃ〜い。
2002年6月13日(木) 
急な必要が出来て、この3年ほど年賀状だけの音信になっていた友人に連絡をした。
以前は、毎日のように会っていた頃もあったのに、互いの生活も変わって、電話すらしない日が重なっていた。
思わぬことから、距離がいっぺんに縮まって、ここのところ毎日電話でやりとりしている。
「りゅうくんはどうしてるのん?」
「学校5年目行ってるよ」
「けんちゃんは?」
「芸能プロダクションに就職した」
こんな他愛無い会話。
「みんな元気?」
「うん。おかげさんで。あんたのとこは?」
「元気、元気。けんも東京で元気に研修受けてるし。お義母さんもピンピンしてるよ」
「ぎゃははは」
これで笑えるのは、私たちの共通項あってのことなんだよね。

S木さんとの出会いは、互いに初めての子を妊娠した時に参加した母親学級で隣り合わせに座ったことがきっかけだった。
夫の年が同じ、家も近所、出産予定日も1週間違い、そして互いに長男の嫁。
その日は名前も交換せず、「また会えるといいですね」と別れたのに、1週間もしないうちにKスーパーの前でバッタリ。
一気に仲良くなった私たちは、ほとんど毎日行き来して、出産準備をしたり、いつか同居することになっている姑の悪口を言い合ったりして過ごした。
子供が生まれてからも、毎日どちらかの家で過ごした。
ある日、いつものように彼女の家に遊びに行って、夕方に「そろそろお父さん帰ってくるから」と、おいとまし、Kスーパーで買い物を終えて店を出ようとすると、大雨になっていた。
「ど〜しよ〜」
もう一度S木さんちに戻ろうかと思ってみても、傘もないままでは、雨の中を隆司を抱いて走っても5mも行かないうちにずぶ濡れになりそうだ。
ベビー・バギーに隆司を乗せたまま、スーパーの出口で「雨が止むまでちょっと待とうね」と隆司に声をかけながら、突っ立っていたが、雨脚はどんどん強くなるばかり。
そのうち隆司はお腹をすかせてぐずり出すし、途方にくれていたところに、滝のような雨の中から現れたのは、片手に傘を下げてやって来たS木さんだった。
「家に電話してもいないし、きっとここで足留め食らってると思ったから」
「けんちゃんは?」
「お隣に見てもらってる。とにかくもういっかいうちに戻って。りゅうくんもお腹すかせてるでしょ」
彼女に促されるままに、もう一度彼女の家に戻り、その日は、連れ合いも迎えがてらにお邪魔して夕食をご馳走になったのだった。
あの時のことを思い出すたびに、今でも涙が出る。

その後も、彼女からは、色んなことを教えられた。
「田舎から送ってきたから」とお米や野菜を分けてもらうとき、彼女は必ず「半分こ」じゃなく、分けた「量の多い方」を私にくれる。
「そんなにくれたらS木さんとこのがなくなるやん」
「うちは、みんな食細いから。うちは、3人家族やから」と、納得させられる。
やがて、悪口を言いまくってた姑と同居が決まり、引越して行ったあともしょっちゅうお邪魔させてもらったが、気を遣って玄関先で帰ろうとする私に
「上がって行かへんの?」と聞いてくる。
「上がって!」じゃなく、「上がって行かへんの?」と言われると、上がらないと悪いような気になって、長居することになる。
そして、話し込んでいる間に、手は止まることなくきぬさやのスジを取ったり、しいたけを味付けたりして、帰る頃には「ハイ。これ今日の晩ご飯!」と、ちらし寿司をくれたりする。

人に何かをすることを喜びにできるということを、彼女が私にしてくれた数え切れないくらいたくさんのことから教えてもらった。
私もできるだけ、私を訪ねてくれる人には、自分の持っているものの中から喜んでもらえるものを使ってもらおう。喜んでもらえるものを少しでも多く持とう。そんな気持ちを生まれさせてくれたのがS木さんだ。

久しぶりに彼女に電話したのは、彼女の家の裏にある竹林の竹を40本ばかり貰えないかということだった。にしきた商店街のイベントに使うためなのだが、自分に何のメリットもないことに、今、彼女は一生懸命になってくれている。
あれこれ話しているうちに、うちの経理を手伝ってもらうことにもなった。
「週1回くらいやったら行けるよ」と言う彼女の言葉に甘えさせてもらった。

気づけば、私が親しくさせてもらっている人は、みんな人のために何かをすることを喜べる人ばかり。
ありがとうございます。
2002年6月22日(土) Happy Birthday
今日は、裕明の誕生日。
20歳の誕生日を、憧れ続けたMadison Scoutsのメンバーとして迎えられるなんて、幸せな子だ。

予定日の27日より5日早く生まれた。
3750gの大きな子だったけれど、お産は軽くて、病院に入って30分で生まれちゃった。
幼時の裕明は、手がかかるといえば手がかかる、楽と言えば楽な子だった。
生まれた直後から病院のお世話になることが多かった。
色んなことで裕明を抱えて病院に走ったけれど、お風呂に一人で入っていて、ガチャポンのケースが密着して開かないのを何をどう思ったのか、安全剃刀を使って開けようとしてケースは開かず自分の手を切るってことをやらかしたときは、泣きわめく裕明を落ち着かせようとしながら「こいつ、かなり頭悪いのかもしれないなぁ」とトホホになったりした。
でも、大きなケガもなく成長できたのは、買い物に連れて行ってもじっと私のスカートの裾を持って離れないほど、用心深くて怖がりだったせいかもしれない。
一人で遊ぶことを早くから覚えて、その点は楽な子だった。紙とクレヨンとハサミがあったら、一人で何時間でも遊んでた。
いつもお兄ちゃんのあとをくっついて回り、お兄ちゃんのすることをなんでもマネして、中学に入って吹奏楽部を選んだあたりから、ますますお兄ちゃんの後を追っていたが、まさか高校まで同じところを選ぶなんて思ってなかったなぁ。

でも、今ようやくそれぞれの道を動き出しているという気がする。
私のスカートにつかまり、お兄ちゃんの後にくっついていた子が、アメリカに飛び出していった日から、裕明は大人になっていたのだと思う。

20歳の夏、サイコーの夏になりますように。

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Akiary v.0.42