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2002年1月1日(火) 新年
2002年が明けた。
前途波高し。
サーフィン気分で波を乗り越えよう。
2002年1月4日(金) カラーガード
宝塚の新年会で、久しぶりに会った俳句仲間のO君からとあるウィンドアンサンブルのことについて質問を受けた。
そう言えば、何年か前、そのアンサンブルの演奏会に誘って一緒に行ったことがあったっけ。
彼は、K学大吹奏楽部部長だった時代があって、でも今は完全に楽器からは離れてしまっているのだけれど、聴くことだけは絶やさないと言う。
で、うちの子供たちの話になったんだけど、裕明の話をする時に「カラーガード」という言葉を発した途端、「カラーガード、かっこいいですよねぇ。あれは、やればハマりますよねぇ。やっぱりカラーガードは男でなくちゃねぇ」という言葉が返って来て、なんだかとってもうれしかった。
マーチング以外の世界の人と話をする時に「マーチング」と言うだけでも、異端視されたり、「あぁ、阪急のやってる・・」と言われてみたりで、ドラムコーなんて言葉に至っては、相手の顔に「?」マークがいくつも点滅してしまうし、マーチングまでは分かってくれても「カラーガード」となると、絶えずビデオを携行した方が話早いかな? と思うくらい説明するのが大変で、子供たちがどんなくらい努力したか、どんなモノを掴んだかなんて、とうてい理解してもらえない。
まぁ、子供たちが手にしたものは、それぞれの中にあってそれでいいんだけれど、たいてい話が続かないのが歯痒いんだよね。
O君とは、今年は、仕事上で密接につながることになり、マーチングやカラーガードの話をできる相手が一般人の中に出来たので、こいつは春から縁起がいい! と喜んでいる仕事始めの夜。
2002年1月11日(金) 兄弟
私は、二人姉妹の長女で、いつも「あなたはお姉ちゃんなんやから」と言われ続けて育った。

「お姉ちゃんだから」得することもあったけれど、大方は、「お姉ちゃんだから」我慢したり、「お姉ちゃんだから」しないといけないことの方が多かったような記憶。
第一子の悲哀と感じて大きくなった。

隆司が生まれた時、「お兄ちゃんだから」「お兄ちゃんのくせに」は絶対に言わないようにしようと思った。

でも、初めての子はいつまでたっても初めてのことばかりの繰り返しなんだよね。
隆司の初めての経験は親にとっても初めての経験で、過ぎてみてやっと「ああすればよかったのね」ということを習得する。
もっと情報があって、もっと早くに行動を起こしていれば、別の選択もできただろう..と後悔することも何度もあった。

昨日、DCIの写真が届いた。
もっぱら、本番の写真の少ない我が家に、エイジアウトの年の写真くらいあってもいいだろうと、たった1枚アップで写っていたのを、締め切りギリギリに申込んだのだが、見ていると、過去2度のDCIの写真も買っとけばよかったなぁと思う。Yamatoの時には、もっとたくさん写っていたのに。
「Yamatoの時も買っておけばよかったねぇ」と言うと、 「オレの時に『失敗したな』と思うことを裕明にはしてやって」と、台所でお皿を洗いながら隆司が答えた。

やっぱり、お兄ちゃんらしくなってしまった..。(^^;
2002年1月14日(月) お家騒動
ちょっとしたお家騒動に巻き込まれている。
事務的に仕事だけするはずが、そうとばかりもゆかなくなった。
まぁ、一時そこに籍を置いた身でもあるので、「お仕事だけ頂戴します」と言い切れないところがあるのね。
本来、断るべき仕事を受けちゃったんだから、毒食わば皿までの覚悟でもしないとやってけないでしょう。
んで、今まで東京でやっていた仕事が全部こっちに来た。
本来、過去のデータを引き継げるはずなのに、お家騒動のおかげで、引き継ぎ一切なし。
でも、文句ばっかり言って来る外野も多くて、そのたびに、「代表者を通さない提案は一切受けつけません」と突っぱね続けている。
引き継ぎ一切なしで、しかも、過去と同等かそれ以上のモノを作り上げるってのは、ほんとにしんどい作業。
でも、こんな時、むらむらと闘志が燃える。
ぜったいに「グゥ〜」の音も出ないモノを作り上げちゃる。

って、、、
私ってやっぱ職人なんだろなぁ。経営者の目で見れば、とっても不合理なことばかりだ。
んでも、しゃあないやん。私は私だもん。
2002年1月15日(火) 成人式
昨日の成人式、各地の様子を見てるとなんだかなぁ〜になっちゃう。
親子同伴、ディズニーランド、小学生の会場係、厳戒体制...
いずれも、成人の自覚を促すにはほど遠いと思うけど。
「親が一緒なら騒がないだろう」っていう発想そのものが、初めから成人を成人として扱ってないじゃないですか。そんなのを成人式と呼ぶなんて、なんか、白けちゃいましたね。あれ見てて。
年齢という区切りだけで、一ケ所に人を集めるのは、もう限界なんじゃないのかなぁ。

区切りということでは、DCIのエイジアウト・セレモニーと定演の卒部式が印象的だった。
それぞれが自分の所属する単位ごとに、年齢の区切りをつけるようにした方がいいんじゃないのかなぁ。
2002年1月31日(木) アルドーママ
裕明の日記を読んで泣いた。
子供を守るために身を削るように働いた結果が、他国の人の命を奪うことになるかもしれないからと言って、誰がアルドーママを責められるだろう。
自分の好きな仕事をして、家族を犠牲にしている私とまるで正反対だ。
そんな私が育てても、アルドーママの痛みを推し量る心を持てる人間になってくれたことに、なんだかほっとする。
また一つ、アメリカに行かせてよかった、と思った。

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Akiary v.0.42