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2001年12月3日(月) 週明け
月曜からまた遅刻者。
風邪ひきかけて、のどが痛いからと医者に寄って来た。
そいや、大昔、「風邪をひきそうだから休みます」と連絡してきた同僚がいたけれど、それと大差ないな。
「休み明けに体調崩すのは自己管理が悪い!」と姑みたいなことを言わなければならないのがやだ。
月曜朝はミーティングと決めてるのを遅れられると、全体のムードが一気に沈滞する。
むぅ〜〜。

この時期になると、自分で作ったデータを持込んで「年賀状印刷お願いします」と言ってくるのが多い。
これ、一見楽そうで実は大変なのよ。
貼り込んである画像の種類がバラバラだったり、解像度が足りなかったり..。
たいてい調整し直さないといけない。
どうかすると、それを原稿にイチから作り直しってことさえある。
「調整料」を請求すると、「話が違う.」って、あんたぁ、それを言いたいのはこっちぢゃ。
ちゃんと事前にデータ出稿の要領を伝えてあったでしょが!
むぅ〜〜〜。むぅ〜〜〜〜。
2001年12月6日(木) 忘年会
忘年会続き。
人脈こそ宝とは思っても、お声がかかった忘年会に全て出ていたら、毎日忘年会になりそうなので、気を遣わないといけないところにはなるべく行かないようにしている。
それでも、週に2回くらいのペースですでにスケジュール決定。もう満杯状態。
売れっ子はつらい..。ん???

翌日の仕事に響かないように気をつけているけれど、昨夜は不覚であった。ワインがおいしくて、かなり酔っぱらってしまい、朝はよれよれ。いかんねぇ。

これからの忘年会で楽しみなのは、23日と28日。
23日は、金光大阪の吹奏楽部を応援する会の役員忘年会。在学中はさほどでもなかったのに、卒業後の方が仲がいい妙な仲間。
ただ、その日は、甲子園国際マラソンの手伝いに出るので、日中にある第2ブロック演奏会に行けないのが悔しい。
28日は、独立するまで勤めていた会社の忘年会。
退職後、一時は出入り禁止にもなり、色々あったが、昨年から忘年会に招いていただけるようになった。
案内をくれた庶務のい○ださん、「おまさと会えるのも年に1回になってしまったもんねぇ。織姫さまみたいなもんよねぇ」
げっ。毒舌のい○だにそんなこと言われると、なんか落ち着かない。
まぁねぇ、年に1回、節分の鬼みたいと言われるよりいいけど。
一緒に招かれた印刷屋にその話をしたら、「うめきちの件以来、みんな優しくなってる」って。
そっかぁ。なんか哀しい優しさやね。
2001年12月7日(金) たいせつの朝
今日は二十四節気の一つ大雪(たいせつ)の日。
立冬から数えて50日目。
早朝のキーンと冷えた空気が気持ちいい。

そろそろ聞こえ出すスキー便り。
先日、JALの機内誌「winds」でスイスのスキー場のことが載ってた。
私が滑ってたころって、スイスやカナダでスキーするなんて、夢のようなことだったけれど、旅費が安くなって今なら学生でも行ける。
もう一度滑れるようになりたいなぁ。
20年近くも滑ってないから、今からだとイチからだろうけれど、50歳過ぎてスキー始めた人もある。
膝の故障のおかげで、スキーどころか長歩きもできない今のままじゃ無理だろうけれど、お医者様から「膝に負担をかけないように大腿筋を鍛えなさい」と言われてることを拡大解釈すれば、筋肉をもっと鍛えれば、普通に滑れるようになるってことじゃないの?
筋肉を鍛えるどころか、不規則な生活のせいでかなり体重も増えており、このままではそんなに遠くなく車椅子生活になると言われるようになったし、一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるんじゃないかしら。

というわけで、最近ちょっと早起きの習慣をつけている。
体が早起きに慣れたら、次は早朝ウォーキングを始めようと思ってる。
もう一度、無駄のないボディになって、必ずスキーに行くぞ!
2001年12月12日(水) 十二月十二日
子供の頃住んでいた家は、今で言うと3Kの平屋だった。
家の割に玄関が大きくて、自転車を中に入れられるような妙な造りの家。
当時撮った写真がこのサイトの中にもある。
昔の家はどこもそうだったのだろうが、歳事を大切にする家だったので、正月から始まって、七草、小正月、節分、桃の節句、彼岸、花見、端午の節句・・と、毎月なにかの行事があった。
十二月十二日は、石川五衛門の処刑された日とかで、毎年、小さな半紙に「十二月十二日」と書いたものを逆さ向けにして窓や玄関の開口部の上に貼る日になっていた。
これは、一家の主人の仕事で、父が厳粛な面持ちで半紙に墨文字をしたため、家中の開口部に貼って回っていた。おかげ様で、一度も泥棒の被害に合うことはなかったが、高校の時に現在の実家に転居してからは、家の雰囲気にそぐわないと思ったのか、アルミサッシで戸締まりも厳重になったからなのか、その習慣はなくなってしまっていた。
結婚後、実家の習慣を勝手に持込むのも憚られ、私はしたことがなかったが、今だ泥棒に入られたことはない。
つか..入っても盗む価値のあるモノがありそうな家じゃないもんなぁ。
2001年12月14日(金) 最後まで
自分を信じよう。
最後まであきらめないでいよう。
自分の力の及ばないことで翻弄されることは、与えられた試練なのだと思おう。
きっと、「あの時の苦しさは今のこの喜びのためにあった」と思える日が来るから。
弱気になったら、弱気を大好物にしてる悪魔が喜んでやって来る。
前を向いて。
嵐の中でも顔を上げて。

でも、泣きたい時は泣いていいんだよ。
泣くだけ泣いたら打ちつける雨に顔を洗ってもらえばいい。

明日は晴れるよ。きっと。
2001年12月16日(日) 出発

空港の見送りはあっけない。 ゲートで手を振ったら、それでおしまい。
いつまでもだらだらと姿が見えているより、見送る方も見送られる方もさっぱりしていいんだけど。

飛べた。
やっとこさ。
平和な頃なら、数日で下りたビザが申請から16日もかかってしまった。
申請直後は何度も領事館から質問があり、それに対して書面で回答したり、Solutionからレターを起こしてもらったりしていたが、もう不備はないはずなのに、その後1週間は何の音沙汰もなくなってしまった。領事館に直接問い合わせても「お答えはできません」としか返って来ないのでただじっと待つだけ。
水曜日に代理店から「明日審議にかけられて、それで問題がなければ、月曜の発給」と連絡があった。
それでは間に合わない。
Solutionからは、15日からのキャンプには参加するようにと最後通牒に近いメールを受けている。
「ビザが間に合わなくて今年がもしだめでも、2003年のスポットは空けておく」と、メンバーからはずすことをほのめかすメールも来ていた。
万に一つの望みをかけて、金曜日の夕方まで待ったが、奇跡は起きなかった。
金曜の夜は絶望的なムードのなかで、なぜか妙にハイになっている家族がいた。
とにかく月曜まで待つしかない。キャンプでSolutionがどういう結論を出すのか、そしてビザは下りるのか・・・。
ビザが下りても、もしスポットが埋まってしまったら、それは仕方ない。でも、練習だけでも参加したいという希望を伝えるメールを送った。
長い休日になりそうな予感だった。

明けて土曜の正午ごろ、「ビザが下りた!」と一報。
Solutionに連絡をする傍らでエアの手配をするが、早くても日曜の韓国経由便しかない。
キャンプに参加できるのはほんの数時間。
それでも、Solutionは待ってくれると言う。
電話の向こうで、ディレクターのNoreenは狂喜してくれていたそうだ。

はしゃぐわけでもなく、不安そうにするわけでもなく、いつも通りの表情でゲートをくぐり、出発して行った。
昨夜は、ほとんど一睡もせずに準備していたから、今ごろ飛行機の中で爆睡しているだろう。
現地では、日本からやってくる少年のために受け入れ先を募ったところ、何軒もの家庭が手を上げてくれ、その中でも家族全員が理解を示している家庭を選んでステイの準備をしてくれているとか。
愛される存在になれますように。
2001年12月31日(月) あと3時間ほどで
新年の幕開け。
だっつうのに、まだ会社でごそごそやってる私って..。
この1年、文字通りまたたく間に過ぎた。
でも、振り返ってみると、とても中身の濃い1年だった。
家の中も会社もそして世の中も激動の1年...。
めまぐるしかったなぁ。

年明けは、裕明のMadisonへのトライアウトから始まった。
正月返上で兄弟が力を合わせて作ったビデオは、その後、スコットさんに大ウケしたそうだが、(技術がではなく、映像そのものが...爆)つたない技を披露しているバックに神呪寺(かんのうじ)の鐘の音が「ゴ〜〜〜〜ン」と入っている。
SCVに入った隆司が途中で帰って来てからの数カ月は、語り出せばその日数だけ必要なくらい、色んなことがあった。
その間に裕明は高校を卒業し、GLORIAに入り、WGIに行き..。
やがて、なんとかBKのスポットを手にした隆司がバタバタと旅立って行ったのは6月。
ずっと行きたいと思っていたDCIにやっと行かせてもらえたのは、隆司のおかげだな。
こうやって思い出してみると、なんだか、子供のことばっかだ。

私自身のことについては、まぁ..思い出したくもないようなこともいっぱいあったし、こうやって年を越せることそのものを喜びたい。
来年は、もうちょっとゆとりを持って暮らせたらいいんだけど。
と言いつつ、3日から仕事が待っている。あはは〜。

笑って歩けることに感謝!

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Akiary v.0.42