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2001年6月1日(金) 早いねぇ
もう6月です。

このペースで毎日過ぎていくと、またおたんぞ〜日がすぐにやって来るわ。
もう、自分の正確な年齢も忘れかけてるけど。(^^;

隆司が、DCI断念表明しましたね。
昨年、BDのビデオオーディションにコケて以来、な〜〜んかやることなすこと、悪い方へ悪い方へ行ってしまって、周囲で見てて辛かったけど、一番辛かったのは、隆司。
もともと、経過をあまり話さず、結論しか言わない子だったから、結論らしい結論をいつまでたっても出せない状況のなかで、どんなにしんどかっただろうと思うと、いまも胸が痛くなります。>いちお、お腹を痛めて産んだ子だし。

おそらく、生まれて初めて味わった様々の屈辱と挫折があっただろうな。
でも、突進していく闘い方ではなかったけれど、彼なりの闘いをしてきたと思います。
この数カ月に出会った人や、起きた事、今はまだ苦い思い出になっている部分が多いと思うけれど、次に進んでさえ行けば、きっと笑い話にできると思う。
もう笑い話になってる話もすでにあるしね。
サンフランシスコ空港荷物置き去り事件。
サンタクララ迷子事件。
本人、その時は必死だったんだろうけれど、笑っちゃうよねぇ。

そ。必ず笑い話にできる。
最近、かつての輝くような笑顔を少しずつ取り戻してきたので、側にいてもすごく気楽です。
やっぱり、隆司には笑顔が似合うよ。
2001年6月5日(火) 強い人、弱い人
ある取引先から届いた一枚のFAX。
先日、私がかけた電話に対する返答でした。
いきさつは、4月末に支払いのあるはずだったのが、5月になっても振込みされず、私が催促の電話をかけたことに始まるんだけど。
その時は、「すぐ振込みます」という返事だったので、待っていたけど、6月になってもやっぱり振込まれない。
5月末で〆めて、再請求書を今朝発送した直後に、言い訳のFAXが届いたのねぇ。

4月にご主人のお父様が亡くなったこと。故人に多額の借金があることがわかったこと。その返済のために、全ての預貯金を失ったこと。それで支払いが遅れていること。来週には、サラリーマンであるご主人のボーナスが入るので、そこから支払うつもりであること。
従って、来週まで待ってほしい。身内の恥をさらして身の置きどころもないので、FAXで事情説明した。

と、まぁ、こんな内容でした。
もちろん、待ちますよ。そんな事情まで聞かせていただかなくても、「あと1週間だけ待ってほしい」とそれだけでよかったのに。
聞きたくないこと聞いちゃったなあ。

私ねぇ。こういうとき、つくづく、自分っていけずやなぁ。と思います。
気の毒な状況にある人だってことはわかるんです。それ以上思っちゃいけないんでしょうねぇ。ほんとは。
でも、こういうとき、私は、自分の弱味を武器にできる人だなって思っちゃうんです。
人の善意につけこむやり方だなぁって受け止めちゃうんです。

私だって困るんだよぉ。お金もらえないと。
でも、あんたの困ってる状況の方がもっと大変そうだから、がまんするんだよぉ。
だから、せめて「来週になったらもらえるのねん(はぁと)」って楽しみにがまんできるようにしてほしいんだよぉ。

弱い立場の人って、いっぱいいるけど、歯を食いしばって、弱味を見せないでがんばってる人が好き。

ほんとの、強さ、弱さ、ってなんだろう。
2001年6月7日(木) 微笑み返し
今日、川西まで車で行く途中、伊丹のとある小学校近くを通りかかった。
「学童横断あり 注意!」の看板があったけど、それを見るまでもなく、横断歩道の両側に立ってる数人の小学生がいて、渡り終えた子と今から渡る子が道を挟んで声をかけあってたから、停止して「通りなさい」と手で合図を送った。
当然、手を上げるかなんかして、前を通り過ぎるもんだと思い込んでた私に、次に返って来たのは、道の左側から渡ろうとしていた3人の男の子のうちの1人の、右手を身体の前に交叉して、「どうぞ〜〜」という合図だった。
あらら。譲っていただいちゃった。(^^)
思わず笑みがこぼれてしまって、軽く手を上げたら、にこ〜〜っと笑顔が返って来た。
なんか、ほっこりしたなぁ。
いい躾のあったかい家庭で育ってるんだろなぁと、あとの運転が、みょうにるんるんしてしまった梅雨の晴れ間でした。
2001年6月14日(木) ようやく
隆司出発。
一度はあきらめて断念宣言したDCIへ、飛び立って行った。
やれやれという気持ちと、短時間で追い付いてこなさないといけないこれからの2週間を思うと、どうなるやらという心配と。
でも、この半年、とくに春からの3ヶ月間のダメージから立ち上がった彼のことだから、もう少々のことではくじけないで、歯を食いしばってがんばれるだろうと思う。
隆司の個人的なことなので、ここであけっぴろげに私が語る話でもないから経緯は省くけれど、ほんとに色々あった。
すんなり、志望コーに最初からおさまってれば、こんな経験する必要なかったことについては、不憫な思いもあったけれど、得難い経験をしたと思うし、強くなれたと思う。
私も負うた子に教えられるようなことがいくつもあった。

そして、色々と心を砕いて下さった方、叱咤激励して下さった方、幾人もの人に支えられた日々だった。
ありがとうございました。
2001年6月21日(木) 隆司からのメール
Sooka.hiroaki ga tanjyoubidattane.
omedetouto ittoitekudasai.
jituha bokumo asu BK no yunifo-mu wo minituke,gaitoudeno tatien wo shimasu.
kinouyunifo-mu no saisun gaatte, hajimete sode wo toosimasita.
nandaka tyoppiri hukuzatuna sinnkyoudesitaga, imamade uketugaretekita mono wo kannjirukotogadeki, kekkou kangaibukakattadesu.

imaha ookinakouen de rensyu siteimasu.attikottini pure-ri-dog no aketa anaga aiteori, motironnsokorajyuu,hundarakenotokorodesu.
Kyou no yuugata ikinari sairenganarihibiki, staff tati ga awatadasiku ugokidasimasita.
sositesuguni corp directar ga member wo atume. kyodaina tatumaki ga kottiniyattekiteirukara,sugunikaerinasai. to,iwaremasita.
nannokotoyarasappariwakarazu,jyaa kaeroka to nimotu wo matometeiruto, member no hitoriga, Ryuji!hayakusiro.
to,yakenisekasunodesu.
sikasi,soreha karenoiutoori desita.10pungoniha,atariha suna arasi de mienakunattesimattanodesu.
honmani egetunaitokodesu.

bokuraha 1syuukan ha mada rensyuusiteimasu.
jikangaareba mata renrakusimasu.
kotoshi no BKhakekkouomosiroikamo.
madison to Cadets no yuugoumitainakanji?
2001年6月21日(木) 小学校めぐり
商工会議所女性会連合会主催の活動として、毎年行われている「環境・ゴミ問題 作文・絵画コンクール」の啓蒙のために一日市内の小学校を巡って各校長に会ってきた。
しんどかったぁ〜〜。
学校までは車で行けてもですねぇ、門入ってからけっこう歩いたりするところもあるし、初対面の人ばっかだし、もうヘロヘロ。
営業回りのほうがはるかに楽。

先日の事件の影響で、どこの学校も門を閉ざして通用門からの出入りになってました。
門のない学校では、教頭が立って訪問者に声をかけておられた。
一番警戒の強かったのは、某N川学院。門を閉ざし、ガードマンを張り付けて、訪問者はインターホンごしに用件を伝えるという徹底ぶり。
ん〜〜〜〜。こうしてしまえば確かに安全は保たれるんだろうけれど、学校が閉ざされた空間になるのって、どうなんだろう。
社会から隔絶した印象を子供達に植え付けてしまうことになるんじゃないかしら。

そして、一番驚いたのは、どこの学校も事務室、職員室、校長室が2階にあることで。
あれって、なんで??
教職員の動線効率を優先した結果なんだろうか?
あの方が、門の開閉よりうんと問題にされていいと思うなぁ。

な〜〜んか釈然としないままに終えた一日でした。
2001年6月26日(火) 携帯にまつわるエトセトラ
23日(土)〜24日(日)まで川崎へ。
JCGF観戦のために、母を伴って新横浜まで新幹線で。
上大岡の友人宅に泊まる母は地下鉄に、私はJRに乗車。

東神奈川で乗り換えてしばらくした時に携帯が鳴った。
見れば、得意先のT氏から。「ん?? なんで今頃?」
や〜〜な予感がしつつ出てみると、納品されてるはずのチラシ60000枚がないと言う。
うっそぉ〜〜〜ん。だって、金曜に見本も届いてるやん。
あぁ〜〜〜っ! もしかして、印刷会社、納品先間違えてるぅ???
あわてて、止まった駅で飛び下りて、印刷会社の担当に電話。
「土曜だもんなぁ。切ってるかなぁ。どうか出てくれ」と祈るようにしてかけてみると、
「もしもし〜〜」とねむた〜〜い声。
どうやら昼寝してたらしい。寝てる場合ちゃうやろっ!
「あんた! どこに納品したん?」
思った通り、間違えて、別の折込センターに入れてた。
そっからが戦争。
駅のホームに座り込んで納品すべき折込会社とクライアントと担当との間を連絡入れたり連絡待ったり。
なんとか手配がつくメドが立ったので、やっと落ち着いて周りを見渡してみると、「ここはどこ??」
飛び下りた駅は鶴見だった。でも、鶴見がいったい川崎からどんだけ離れてるのかもわからん田舎者。
ホームの掲示で一つ手前だったことがわかって、ほっ。
川崎に到着してから、その後の状況を確認し、作業が完了したら報告するように指示を入れたら、もう私のすることはなくなった。
またまた、やっと落ち着いて見渡すと、迎えに来てくれたいちろ〜さんが、黄昏れるように座ってる。
改札を出た時に目に入らなかったらしい。ごめんなさ〜〜い。

その夜は、川崎家まで歩いてラーメン食べに行き、(今まで連れていってもらったなかで、一番おいしかった)いつものようにとりとめない話に花が咲き、またもやDCIのビデオを見たあと、2時半ころ就寝。
明けて、朝10時ごろ朝食の途中に、また携帯が鳴った。
ん?? 今度は連れ合いからだった。
「裕明が携帯落としたらしい」
「はぁ〜〜??????」
「市バスの営業所で預かってくれてるから引き取りに行ってやってくれ」
引き取りに行くって言っても、地理わからん私にどうしろと..。
営業所は上平間ってとこにあって、JCGFの会場からそこそこのところにあるってことは、いちろ〜さんたちの話でわかった。
ったくもぉ〜〜〜。

11時にまたまた電話。今度は母から。
「早く着き過ぎちゃった」
あのねぃ。川崎での待ち合わせは11時30分って言ってあったでしょ〜〜。
30分も早く着いてどうすんねん。待っとけ。
バタバタと出かける支度をし、いちろ〜さんのロードスターで川崎へ。えへ。これはちょっとうれしかったりした。
日曜の朝から、巻き込んでしまってごめんなさいです。

母と合流し、武蔵小杉へ到着後、タクシーに乗り込んでまず上平間営業所で裕明の携帯を引き取り、とどろきアリーナへ。
タクシー代、〆めて3410エンなり。リッチな昼食が食べられる金額だ。クソ。

会場でGLORIAを見つけて、心配していたらいけないと裕明に渡してやると、「今まで気付かなかった」って。
幸せなヤツよのぉ〜。
んでも、その後の話では、実は会場に入った時に気付いてはいたらしい。
本番前にメンバーに心配かけてもいけないと黙ってたらしいけど、なんと! 彼は「さすがに川崎で落としたら、見つからんやろなぁ」とさっさと次の機種を何にしようかと考えていたらしく。
はぅ〜〜。めでたいヤツぢゃっ。

JCGFそのものは、年々、ひっそりしてくるような気がして、GLORIAがいい演技をしただけに、大会そのものがもっと盛り上がって欲しかったなぁと思う。GLORIAのショウは、JCGFバージョンにかなり短縮してしまってたけど、鳥肌たつほど素晴らしかった。
ガードショウもせめてあと2分、時間を長くしてほしいなぁ。

あ。携帯の話でしたね。
締めくくりがあったんだよねぇ。
帰りは、新大阪で降りたあと、それぞれ自宅に向かったわけだけど、西宮までメンバーのS子さんと一緒だった。
私は自転車で駅まで来てたので、「お腹がすいたからなんか買いたい」という裕明とセブンで合流することにして、迎えに来てくれた連れ合いの車にS子さんも乗ってもらって、家の近くまでお送りした。
セブンを目指して、少しでも近道しようとひょいと角を曲がったところにS子さんの姿。
「あり?」
「うち、ここを入ったところなんです」それはまた奇遇な。
「あのぉ〜」と言いにくそうにしながら、S子さん、「私、車の中に携帯忘れちゃったみたいで」
ガ〜〜〜〜〜ン。
また携帯かいっ。

結局、家から自転車引っぱり出したS子さんとセブンまで並んで走って行ったのでありました。

はぅ〜〜。長い2日間だった。
2001年6月27日(水) 小娘に踊らされる数日間
不覚であった。
よもやこんなことになるとは思いもよらず。

ん〜〜、でも予感はあったんだよね。
今まで直感で物事判断してきて、一度もはずれたことなかったのに、なまじ大人らしい分析なんかして、判断つけようなんてやったのが、大きな間違いだった。
自分の直感にもっと自信を持っていいんだ。
って、今頃言っても遅い。

スタッフに逃げられた。
自転車の鍵持って。(爆)
いや、ほんとは、もっと大きなもの失ったんだけど、さすがにここでも書けないや。
こんな裏切られ方したの生まれて初めてだけど、何処にでもある話でもないし、きっと、私自身に問題ありなんだろねぇ。
逃げられたこともショックだけど、それ考えるのが、一番しんどい。
もう、この年になったら、自己批判なんてしたくないのよぉ〜。

でもさぁ、前向いて歩くしかないぢゃん。
幸い、うちにはもったいないほどの力と意欲を持った人が後釜に決まった。
なんとか巻き返すさ。

んでも....DCI、行けないかもなぁ〜〜。

もう、先のこと考えてても仕方ないんで、いまは、とにかく...寝よう。
2001年6月27日(水) おそれいりました
仕事帰りに、客先に寄った。
とんずらスタッフへの苦情処理だったんだけど、ここまで来ると、事情話すしかなく..。
相手は、私より5つくらい上の人で、彼女に不信感を持ちはじめたのも私と同じくらいの時期だったらしい。
今まで、私の耳に入れなかったのは、「若い人のことだし、一過性のことであれば伝えることが彼女の立場を悪くすることになる」と思い遣って下さって、じっと我慢されていた。
また一方で、監督不行届を詫びる私の気持ちも察して下さり、その許容量の大きさに畏れ入ってしまった。
帰り際、「きっちりけじめはつけさせるようにします。そして、もしかすると一時の気の迷いで、また顔を出すことになるかもしれませんが、その時には..」と言う私の言葉を引き継ぐように、「その時には、私たちは何もなかった顔をしましょう」と言って下さった。
頭が下がりました。

でも...右の頬を打たれてなお左の頬を差し出す勇気は私にはない。
2001年6月30日(土) 今年も半分過ぎた
上半期の締めくくりはあまりと言えばあまりなこと続きでした。
今日は、さらに輪をかけるようなことも起き...
状況としては、最悪なんだけど、もう、ここまで来ると、何が起きても怖くないな。
さぁ〜〜。波瀾の下半期に入ります。
どう考えても下半期のほうが大変そ。

でも、いつもの通り、ちゃんと顔を上げて、まっすぐ歩いていくさ。(^^)

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Akiary v.0.42